私の生い立ち・第二話(笑)

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昨日のブログで書いた、私の生い立ちの続きです(笑)

昨日は母が乳がんになって、父がリストラされたら借金が発覚して、私が肺炎になったところまで書きました。

これが2001年だったんですが、この年は更に、大好きだった親戚の伯父さんが一週間以内に二人亡くなるという残念なできごともありました。

更に!

当時、人材派遣で働いていたのですが、「休みがちである」ことを理由に契約打ち切りとなりました。

まあ休みの理由が母の入院手続きに立ち会う、母の手術に立ち会う、父の借金返済に立ち会う、肺炎で行けない(一週間)という、自分でどうにかできるものではなかったことには配慮してもらえませんでした(笑)。

東京を後にして・・・

結局、父は都内で再就職して2年近く働いてみたものの、結構なブラック企業だったため、故郷の三重県に帰ってそこで仕事をすることを考えました。

そこで問題になるのは、母の乳がんの治療をどうするかということでした。

主治医に相談すると、愛知県がんセンターに信頼できる先輩がいるので連絡してみるということで、この件に関しては意外にあっさり解決しました。

父も知り合いの伝手(つて)で再就職先が決まり、私たちは東京を後にして、父の実家に引っ越すことになりました。

そんなわけで、2003年、私は両親とともに三重県に引っ越しました。

さて、ここから少し回想シーンに入ります(笑)。

実は、そもそも私たちが東京に出ていくきっかけは、母と祖父母が上手く行かなかったことでした。

母は結婚して間もないころ、祖父から「あなたは我が家にふさわしい嫁ではない。息子と別れてくれ。」と言われたそうです。

その時、父が猛反発して離婚は免れましたが、結局そういう場合って嫁は余計に居づらくなるものです。そこで、父に相談したそうですが、「気にしすぎだよ。うまくやってくれ」と言われ、ノイローゼ気味になった母は、当時の父の同僚で母とも親しくしてくれていた人に相談したところ、その人が父に「こういうことは、旦那であるあなたが気づいてあげなきゃいけない。彼女がかわいそうだ」と言ってくれたようです。

すると、しばらくして急に東京への転勤が決まったのです。

父が転勤願いを出していたようですが、母は何も聞いていなくて、激しいバトルがスタートし、当時4歳ぐらいだった私は泣きじゃくりながら二人の間に入った記憶があります。

あの時は、なぜ両親があんな大喧嘩をしたのか解りませんでしたが、今から思えば、父が祖父母にも母にも相談しないで勝手に転勤願いを出して、母は寝耳に水で、「これじゃ私がわがままを言ったからあなたが転勤願いを出したって思われるじゃないの!」と言うことだったのではないでしょうか。

父は母が祖父母と上手くいっていないから別居できる方法として転勤を考え、良かれと思ってしたことだったのでしょうが、祖父母からすれば、嫁が自分たちを嫌がって別居したいと言い、そのための正当な理由が欲しくて息子が転勤を決めたのだと思うだろう、そうに違いないと母が激怒したのですね。

結局は東京に行ったわけなんですが、父は、最初は私が中学を卒業するまでという感じに祖父母に言っていたようです。

それが中学が東京だと高校は東京の方が都合がいいし、そのまま東京暮らしが長引いて、大学も東京(実は横浜でしたが)、そのまま社会人になってしばらく勤め、最終的に22年経ってようやく、三重に戻ったというわけです。

回想シーン終わります。

で、22年ぶりの三重の実家で母と祖父母が上手く行くかがいちばん心配だったのですが、母は入退院を繰り返し、あまり家にいないことが多くなりました。

そして昔と違うのは、私が大人になっていたことです。そして、母はものの言い方が直球すぎることに気づいていたので、私が母と祖父母の間に入って双方の意見をワンクッションでつなぐという重要な(笑)役割を果たすこととなりました。

人間関係を円滑にするのは、伝え方だなと思いましたね。

そんな生活をしばらく続けるうち、母のがんは脳に転移しました。

最後は認知症のようになり、会話が成り立たなくなり、意識がなくなりました。

そして2005年、母は56歳で亡くなりました。

ちょうどこの頃、あるアーティストのファンつながりで知り合った人と付き合い始めていたのですが・・・

この続きは、また次回(笑)